カブログ〈Cub-log〉

クロスカブ JA45をメインにしたい雑記ブログです。子育てと仕事でバイクに乗れてません…

平穏な日々

インフルエンザと親知らず

10月の終わりから11月頭に掛けてインフルエンザを罹ってしまい、

隔離期間開け11月4日に親知らずを2本抜いてもらいました。

1時間40分程かかって痛かったです。

ご飯を食べれず講習会と打合せで1週間終了

2024年11月10日(日)

朝5時、叔父が倒れ、危篤この日から緊急手術で病院に缶詰めになる。

16時ごろ一度帰宅をしたが、緊急手術で22時ごろに再度呼ばれ、

11日の夕方に帰宅した。

2024年11月12日(火)

朝から緊急手術で呼ばれ、21時ごろ帰宅

義姉が突然亡くなったと連絡が来る。

原因不明、3歳、生後2か月の子が残る。

2024年11月13日(水)

16時頃に5回目の緊急手術を終え、

担当の先生に確認したところ8時間ほど東京にいなくても問題ないという

言葉をもらえました。

急いで自宅に戻り奥さんと娘と合流、

生後2か月の子の為に年明けまで長野に残ってもらう予定で荷物満載で出発

途中、義姉の好きだった物を購入し長野へ

2024年11月14日(木)

奥さんと娘を長野へ置いて、帰宅 午前2時に東京に到着。

少し仮眠し、どうしても外せない打ち合わせが会ったため出社

 

午後から叔父の仕事関係の支払い確認で叔父の家へ

17時ごろ叔父をお見舞いし、休んだ。

この日は初めて緊急手術はなく順調でした。

ただ、7年前に亡くなった叔父と流れが似ていて嫌な気持ちになりました。

2024年11月15日(金)

朝からまた叔父の家で書類確認、各所へ電話

13時緊急手術、23時過ぎに帰宅

2024年11月16日(土)

引き続き叔父の家で書類、電話

 

13時に病院から連絡があり、

 「今日はお見舞い何時にいらっしゃいますか?」

 「夕方に伺います。」

 「15時ごろになりませんか?」

 「わかりました。」

 

初めてのパターンでした。

前日に先生が出張に行くと言っていたのでなんかの説明?

単純に悪化した?

 

前倒しして病院へ

到着して話を聞くと、叔父の心臓はもうほぼ動かなくなっていました。

心電図に出ている反応は残効の様なもで、実際には動いていないとの事でした。

 

姉に当たる母は泣き、私も流石に涙をすこし出してしまいました。

 

状況的に警察の介入が必要(検死)となり、叔父は警察署へ

刑事さんと叔父の家に行き、防犯カメラの映像提出

すべて終わったのは23時過ぎていました。

2024年11月17日(日)

義姉のお通夜に出席するため、長野へ

寝れそうになかったのでそのまま出発、

朝6時に刑事さんから問題無かったので引き取りに来てくださいと電話があり、

連絡しておいた葬儀会社とやり取りしてもらいました。

 

お通夜が終わり、東京へ出発なんだかんだで23時半に東京着

2024年11月18日(月)

ご迷惑をお掛けしますと言うご挨拶から、

今度は亡くなりましたという連絡を各所へ行う。

叔父の携帯ロック解除が出来ないため連絡が中々できませんでした。

葬儀は土日に決定。

2024年11月19日(火)

若手へ電話で指示だけでは厳しくなってきたため出社

仕事しているだけで良い日だったので楽だった。

2024年11月20日(水)

書類確認、連絡 

疲れが溜まり16時半に帰宅した。

2024年11月21日(木)

昼間は書類確認、連絡

叔父の葬式に出てくれるというので奥さんと娘を迎えに行く、

23時過ぎに出発し長野へ、なんとなく甲府昭和ICで降りて下道で行くことにしました。

2024年11月22日(金)

娘と奥さんを連れ、16時過ぎに帰宅

叔父の家に行き引き続き連絡

2024年11月23日(土)

疲れていたし、当日に連絡しても仕方ないと考え休息

14時に自宅を出発し葬儀会場へ

初めて喪主をやりましたが意外とやる事が多い

名札の順番、お坊さんへ挨拶、給仕さんへの支払い等

バタバタ回っていたらもう式が始まりました。

 

式が終わったら母、奥さん、兄嫁を自宅に送り

式場へ戻り1泊

夜しみじみ叔父を見てしまった。

叔父の好きだったバイク雑誌を棺桶に突っ込んでおきました。

2024年11月24日(日)

荼毘に付す日、直前の叔父は皆さんが入れてくれた花で飾られ、閉じられた。

叔父に花は全く似合わない、もっとお爺さんレベルじゃないと。

 

叔父の骨はガッツリ残っていました。

係りの方は入れきる自信がないという。

残したら怒られる気がして

ガッとやってください ダメだったら袋に入れて墓に突っ込みます。

とお願いした所、本気でやりそうと思われたのか必死に入れてくれました。

頑張って骨砕いていたので解説はあまりなかったです。

叔父を叔父の家に連れて帰り線香をあげ、18時に帰宅

2024年11月25日(月)

日曜日に長野へ連れ帰る予定だったが1日延期、

翌日も奥さんが不安そうだったので金曜日に延期しました。

2024年11月26日~29日

仕事がたまりにたまっていたので

書類を作りつつ打合せで横浜、栃木、群馬、都内を回る。

2024年11月30日(土)

奥さん気分転換に観光しつつ長野へ

長野のご実家に17時に到着 39.2℃の発熱してしまう。

帰ろうとしましたが止められ、朝5時まで寝かせて頂き出発

2024年11月31日(日)

9時ごろ東京へ到着し1日休息

以降昼間は仕事して、夜は叔父の家に行き線香とお供え物

2024年12月3日(水)

叔父の家に遺産相続人で確認に行ったらしく、

もう今までの様には入れなくなってしまった。

せめて49日まではお供えをし続けたかったが無理になってしまった。

 

叔父の集めたバイクや車、叔父の家、場所はもう無くなるんだなーと

去年から続いて人や場所が無くなっていってます。

歳を取ったんだなと思います。

何もない平穏な日々は貴重で大切なんだと改めて思いました。